2016.4.19
古い駅舎に一本桜ってのは、日本の田舎を象徴するような風景だと思います。
例えば、JR新城駅のように・・・。
そんな駅がつるさんの家の近くにありました。名鉄三河線の高浜港駅です。
これは2011年4月の姿ですが、本当に桜がお似合いの駅でした。
1988年頃はこんな感じでした。丸いポストが良いですね。
当時はデジカメ何て便利なモノが無かったので、ビデオカメラからのキャプチャーですが、やはり桜は良いですねぇー。
電車が到着して、人々が降りてくるシーンも今見ると活気にあふれている時代だったなと。
駅の横にはお決まりの売店もありましたし、居酒屋もありました。
高浜は昔から瓦の街でしたね。
駅には名産品が飾ってありました。津の評論家M川氏が絶品だと賞賛する味噌饅頭も・・・。
2004年頃までは有人駅でした。時計もありました。
売店の方が先に消えたと思います。
公衆電話もISDNのグレーの電話機になりましたね。ポストも現代的になりました。
駅前広場も整備されました。
4メートルの巨大鬼瓦のモニュメントも登場です。
毎年瓦のまつりも行われるようになりました。
しかし、瓦は阪神淡路大震災の頃から評判が悪くなりましたね。屋根の上にそんな重いモノを搭載するのはあかんって噂が広まった訳です。
大地震の度に瓦は売れなくなったような気もします。
陶器のキャンドルライトです。
鬼のみちも整備されました。
常滑の土管坂みたいですよね。
徒歩で10分くらい西に歩くと・・・。
かわら美術館に到着です。タッキーも名古屋から来てくれたらしいです。誘ったのはウルトラマンですけど。
高浜市にしては立派な建物かもです。
昔は橋が無くて、ここから船で知多半島に渡ったらしいです。
日本一の高さを誇る陶器の観音像です。本当に日本一なのかな?
意味がわかりませんが、ウルトラマン展をやっていましたね。
これまた懐かしいですが、何でもかんでも瓦って訳です。
この駅の構造から理解出来ると思いますが、昔は貨物列車で瓦を運んでいましたね。
今は貨物の扱いも無くなって、旅客のみですが、幸いには15分に1本はあります。
屋根瓦にレールの錆が積もって歴史を感じさせている高浜港の木造駅舎ですが・・・。
老朽化には勝てないようです。と言うより、耐震に問題があるみたいです。
気が付いた時には公衆電話が緑の電話機に戻っていました。
ISDNも終焉が近いと言う訳です。
桜も素晴らしいのですが、モミジも負けていませんねぇー。
そして、木造駅舎とお別れの時期が迫って来た訳です。
つるさんが生まれた頃は大きな駅でしたね。瓦産業のお陰です。
そんな宣告が・・・。
ウッチーが来た時に工事が本格化しましたね。時計はかなり前から無くなっていますし、そもそも無人駅になりました。
でも、この時は桜もモミジも残るだろうと信じていました。
駅舎だけが新しくなるのかなと・・・。
そして、秋が去って行きました。
これが最後の雪景色かなと?
この辺は南国なので、積もってもこの程度ですね。
仮設トイレも登場しました。この時は気が付いていなかったのですが・・・。
夜になって、気が付きました!
えーーーーー、何コレ!もしかして、桜の木かよ?おいおい、切ってしまった訳?
そんな風に名鉄はSAKURAトレインってのを表向きには走らせていますが、裏ではそんな残酷な事をしている訳です。
何か後方に新駅舎の骨組みが姿を現して来ました。果たしてどんな駅になるのかと?
完成もしないうちから供用が始まり、解体工事も始まりました。
簡単に無くなりましたね。
あーあ、何か全て消えてしまいました。
とにかく、3月26日に間に合わせないといかんので、業者も必死と言う訳です。
間に合うのかな?
そんな感じで、北海道新幹線の開業と同じ日に新駅舎になりました。
何か婆さんがぽか〜んって感じで運賃表を見ていますね。
気になるのはこの部分です。名鉄の土地では無いって事ですね。夜は危ないトラップです。
しかし、殺風景な駅になりましたね。とりあえず、瓦屋根ですけど・・・。
やはり、昔の方が良かったなと・・・。
その後しばらくして、そんな説明看板が立てられました。そんなモノより、ポストと自動販売機と時計が欲しいですね。公衆電話も災害対策としてはあっても良いかも?
これを機会にしたのかは不明ですけど、周辺も変化して行きました。
古い建物は全て消えて行きます。
駅前ロータリーもどんな風になるのかなと・・・。
そんなこんなで、昔を偲んでQSLカードを作ってみました。電線は邪魔なので、一部消しましたけどね。
初めてカラー写真で作ったので、豊橋の月の石の人に最初の1枚を郵送しましたぁー。